テクノロジーの進歩による変化の功罪 後編

 今後サブスク(ストリーミングサービス)がどの程度シェアを占めるのか、というのは不透明ですが、アメリカでは既に7割近いシェアを獲得しており、日本でも既に3割ほどを獲得しています。
 そしてどちらも成長市場と言われていますし、受けれらるサービスの質を考えれば、日本でもいずれシェアは1位となり、サブスクがオーディオシーンを支配することになるでしょう。
 ということは、どんなアーティストもサブスクを無視することは難しくなるでしょうし、実際当初は慎重だったアーティストも見られましたが、現在はその殆どが何らかのサブスクに参加しているように見受けられます。

 そして、当然といえば当然ですが、再生数及び再生時間に応じて対価がアーティストに払われる仕組みになっているはずです。
 それぞれの契約がどうなっているかは当然分かりませんけど、大抵の場合はそれ以外に評価のしようが無いでしょうしね。


 先にも書いた通り、サブスクで多数派を占めるのは、「そこまで音楽鑑賞に情熱を傾けない」層だと考えられます。言わばライトに楽しむ人たちですね。
 そして、各アーティストは「より多く再生されること」、「より長く再生されること」を目指して曲を提供することになるでしょう。
 この二つを前提に、先に書いた諸々の事情を組み合わせて考えると、以下のような傾向が見受けられるようになるのではないかな、と考えます。

 

・一聴して分かりやすい曲。難解な表現よりも理解しやすい表現。
・複雑よりシンプルな構成に。
・1曲当たりの時間の短縮。それに伴いメインでない部分(前奏や間奏等)の簡素化、短縮化。
・ネガティブよりもポジティブ
・強い感情、いわゆる視聴者の心を「搔き乱す」様な表現の排除。全くは無くさないが、オブラートに包み「安心して」聴けるようにする。
・詩的な表現よりも、散文的な表現を重視。
・1つ1つの完成度を上げるより、そこそこにとどめてコンスタントに量産出来る事を重視。
・ユーザーを飽きさせないために変化は必要だが、一方で予想を裏切りすぎない程度の変化にとどめる。
・他者と差別化のための個性は必須だが、「個性的すぎない」よう気を付ける。

 

 まあ、ざっと書きましたがこんな感じだと予想しています。
 これは、ビジネスモデルがライト層を取り込むことが必要だったからこそ、そこで再生数を伸ばすためにも必然的にライト層に受け入れられなければならないからです。
 要は、万人受けするためにある程度当たり障りの無い内容になる事を余儀なくされる、ということですね。
 もちろん全部が全部そうなるわけではないでしょうが、それでもメインストリームはこういった層になっていくでしょう。
 個人的にはこういう傾向の曲ってあまり好きになれない事が多いのですが、恐らく否応なしに変化していくでしょうから、仕方のないことなのでしょう。
 実はこういった予想は結構前から持っていて、それは単に思考だけではなく肌感覚として存在したものです。
 店頭で流れる曲とかでちょっと良さそうだと思っても、自分のシステムでじっくり試聴してみるとこれじゃない感を抱く、ということが明らかに増えてきてるんですよね。
 ぱっと聴きの印象は悪くないんですが、しっかり向き合うとあまり重みや深みが無く好みでない、という傾向が増えたともいいます。
 特にヒットチャートの上位などを見ると、そういう傾向が強くなってきているなと感じます(もっともこれはサブスク登場以前からそんな感じでしたけど)。

 

 なお、この傾向は以前からヒットチャートの上位に食い込むような曲を作るためには、同じような考え方をしていたのではないかと考える人もいると思います。
 また、たとえサブスクであっても固定ファンを獲得さえすれば、これまでと変わりないのではないかという疑問もあるかもしれません。
 しかしそこには決定的な違いがあり、それは「母数の数が圧倒的に違う」ということです。


 サブスク以前は、「万人受け」を目指すことで増やせる需要が、今よりもずっと少なかったはずです。
 だからこそ、万人受けばかりを狙うことだけではなく、強い個性を発揮し固定ファンをつかむこともまた重視されていたと私は考えています。
 そこには単に売上のことだけを考えているというわけではなく、アーティストが自分なりの世界観を表現・提供したいという意思もあったと思われ、その相互作用でもあったでしょう。
 ですが、サブスクが市場のシェアを支配するとなると、これまでとは桁違いの母数が存在することになります。
 そういった状況でどれだけ固定ファンを掴もうとも、大多数の中では再生数も再生時間も相対的に伸び悩むことになってしまうでしょう。
 これは言い換えれば、サブスクモデルになったことで客単価が劇的に下がったという事であり、限られた層を取り込んだところで見込める収益が非常に限られた状態になったという事です。
 もちろん、サブスクでの再生数や再生回数を伸ばすだけではなく、ライブツアーの実施、グッズの売り上げなどを考えれば、固定ファンを獲得することはまだ十分意義のあることだと思われますけどね。

 

 そんな訳で、サブスクが主流になろうとしているからこそ、自分の好きな音楽を聴き続けたいのならば、その好きなアーティストの音源を購入することが以前よりも重要になるのではないか、と私は考えています。
 恐らくですが、全てのアーティストがサブスクでの収益というものを、手放しで喜んでいる訳ではないと思っています。
 そしてサブスクでは受けにくい曲、しかし自分たちのファンにとっては魅力的な曲などを提供するために、今後も購入音源にも力を入れるアーティストも一定数いるでしょう。
 そういった曲がサブスクの方に提供されない訳ではないでしょうが、あくまで直接購入する層に向けて作る曲もある、ということですね。
 だからこそ、購入者が一定数い続ければ、いわゆる「あまりサブスク受けはしない曲」でも、ファンの為に作り続けるアーティストもいるのではないか、と考えています。
 なんだかんだで直接音源を購入する方がアーティストにとって利益になるでしょうから、好きなアーティストを応援するという意味でも意義があるでしょう。

 

 特に、あまりメジャーではないアーティストが好きだったり、強い表現やむき出しの感情表現を取り入れた楽曲に魅力を感じる人、オリジナリティの強いアーティストや楽曲が好きな人は、猶更重要でしょう。
 どうせサブスクで聴けるからと音源購入する人がいなくなった時、あなたの好きなアーティストは活動し続けるかもしれませんが、好きな楽曲を提供し続けてくれるかどうかは分からないのです。

 

 これらは良い悪いの問題ではなく、それぞれの価値観の違いでしかありません。
 音楽界に活気があるためには、ライトな層を獲得しより大きな売り上げを作る、あるいは成長市場であり続けることが必要なのも事実でしょう。
 そういう観点で言えば、サブスクリプションモデルは素晴らしい手法であり、現在の音楽を支えている存在であり、いずれは牽引していく存在になるはずです。
 しかしそのモデルが手放しで礼賛できるものでは無く、むしろメリットが大きいからこそデメリットも相応に大きくなる、副作用があるという事は認識すべきだと思うのです。

 テクノロジーの発達がこのように形態を大きく変化させるような事は、今後も繰り返されるはずです。
 しかしその変化は一見素晴らしく見えても、その変化が大きければ大きいほど、失われるものもまた大きい可能性が高いのではないか、と私は考えています。
 大きな変化が起こるとき、何のマイナス面もなく、プラス面だけが増加するということはほぼあり得ないからです。
 そして怖いのは、テクノロジーの変化によるビジネス形態の変化の場合、そこにいるクリエイターの意思では変化に抗えない可能性が高い、ということでしょう。
 実際に最近の様子を見ていると、搾取の構造になりかけていないか?と危惧することも増えたように思います。


 少なくとも私は今のサブスクを観察する限り、とがった楽曲やアーティストは減る傾向になると思ってますし、均質化も進むのだろうと考えています。
 多少の差異はあれど、以前某クリエイターが作ったボーカロイド曲の「どうせお前らこんな曲が好きなんだろ?」という曲があるのですが、その世界観が割とシャレにならりレベルで一般にもクリエイター側にも広がっている様に思えるということですね。

 実際に現在売れているアーティストで、そういう傾向が強いアーティストも出て来ているように見えますし(少なくとも私にはそう見える)。
 それは、特にこれまで音楽鑑賞が好きで、音源を購入することにためらわなかった層にこそ、望ましくない変化をもたらすと予想します。
 ですから、好きなアーティストがいる、そしてその人たちの世界観が好きでこれからも聴き続けたいと考えるならば、サブスクで聴けたとしても音源を購入することは続けた方が良いでしょう。
 目先の少しの金銭的な合理性の為に、将来的に好きなアーティストを失うかもしれない可能性を、今一度考えてみてほしいと思っています。